相反する感覚と丹波哲郎 [ママ]
※どなたかわかりませんが、ブックマークをしてくださっている方が数人いらっしゃるようでありがたくもあり恥ずかしくもあります。ロクに更新もしていないのに訪問してくださっており、ありがたいので近況などを書いてゆけたらと思います。
「今は思い出にたくさん浸るといいよ」と友達の励ましを受けながら、最初は必死で過ごしていたのが今はずいぶん抜け殻感もなくなってきたように思います。どうもありがとうございます。
犬は、死後『虹の橋』のたもとで病気やけがの苦しみから解放され楽しく暮らすそうな。
そこはいわゆるユートピアであるものの、犬は残してきた人間の家族のことを気にしながら、家族がやってくるのを待っていると。
さすがにそれはないと思う。
事実だったら嬉しいことだ。
虹の作られ方は中学生の自由研究で友達と共同研究と実験をした。
その『虹の橋』って物理的に存在し続けるのは不可能じゃないかな。
さらに、荼毘にふした後、自宅に『犬の仏壇』を作っちゃうこと。
それもいまいちしっくりこないと思っている(現在、我が家ではお骨はシンプルに棚に置かれている)。犬を何頭も飼い続けたら、お骨の数が増えて「供養ゾーン」は結構なものになると思う。
自然に還してやるのが生き物の性質にもマッチするような。
人間の「三途の川」も「死後の世界」も「極楽浄土」も、そして「地獄」も生きている人間のためのものだと思っている。『虹の橋』も。
一生懸命「供養」するのも残された人間が悲しみから立ち直り、心に、旅立った相手を想い、そこから自分の人生を見つけていくためのものだ。
例えばご先祖様の供養を怠ると自分の身に良くないことが起こるだとか、そういうのは「日々感謝の気持ちを忘れずに生きていけ」というような、やっぱり生きている人間の生きる指針の問題だ。
それと、自分に「死後の世界」があったら疲れる。
骨になったら人はおしまい。そこまで。
というのがわたしの単なる意見です。
しかしながら、ちょっと困った感覚に見舞われていることも確か。
「こんな夢を見たんだけど、ちょっとおかしいよね」と遠方に住む母にメールを送るとすぐさま着信があり「実はグレちゃん(実家の猫。わたしは「育ての親」とよく言われた)死んだの・・・あんた、どうして」と母。ハハハ。
ちなみにいとこはきょうだいで「みえる」らしい。亡くなった祖父が新聞をめくっていたり、踏切にボロボロになった武士がみえたり、そういうことが日常だと言っていた。さすがにそれを「そんなの嘘でしょ」とは言わない。みえるのであろう。
コスモの癌が見つかる前にもおかしい感覚があった。
元気だけれどエサを食べなくなったということで「明日病院に行こうね」と決めていた日。
その日は日差しのたっぷりな午前中で、わたしも犬もめいめい自由に過ごしていた。
するとゴロゴロしていたコスモが突然「ピー」と立ち上がったのがわかったので心配して振り向くと、ちょこんと「スワレ」をして黙ってこちらを見ている。普通の顔だ。
「もう、お別れなんだよ」
はっきりとそれがわかって、そういわれたのがわかって、わたしはすがりついて「お願い死なないで、死なないで」と泣いた。まだ3年くらいは元気でいてくれると思っていたし、よくわからなかった。病院で告知されたのは次の日のことだ。
息を引き取ることもわかった。
「この場合余命3か月」と言われていたので、年を越すものと考えていた。
ただ、その夜はなんとなく「もう時間がない」とわかった。
ゆるやかに症状は悪化していて、これがあとひと月くらいの速度なのかなと思っていたが、その夜はおかしな気がして、息子に「こっちゃんとちゃんとお話しした?ちゃんとお話ししないと後悔するからよく話しなさい。ママは2階に行っているから」と言った。
息子は何やら話をしたようで、泣いていた。
夫にそれを話すと「そういうことさせるから泣くんでしょ」と一蹴され、「可哀そうなことしたかなあ」と反省したりしていた。「でもなんだかおかしくない?」と聞いても「夜はいつもこんな感じだよ、別におかしくないよ?」うーむ。
それに、翌日には動物病院に連れていく予定であった。
深夜になって、やっぱりそれを強く感じたので「みんなと一緒に2階で寝ていたから2階に上げてやりたい」と夫に頼み、夫は重たすぎるのをなんとか抱えてくれた。
その3時間後、突然動きが変わって息を引き取った。
1分前まで苦しそうに体を起こしてゼイゼイ呼吸をしていたので胸を撫でてやっていた。それもいつものことだった。
しかし、急に動きが変わった。
大声で家族を呼び集めて、最期の最後、みんなで声をかけて看取った。
「持ってるねー」
一連のことについて夫を話をしたけれど、そういうデビューをしたつもりはない。
常にそういう思考回路で生きているからまれに当たるのだと思いたい。
仏教(?)のようなスピリチュアルなものを、生きる人間のためと考えながらも、何かを感じてしまう。
相反する感覚に答えが見つからないままだ。
・・・ちなみに、自殺がなぜいけないか。
小学生の頃、学研の「学習」「科学」という月刊誌があった。
学習は歴史とかそういうのがメインだったように思う。科学は、理科。ケント・デリカットを水満タンに張った浴槽に潜らせ、あふれた水の分がケントの体積さ!みたいなことをしたり、アリの飼育セットやNASAの宇宙食が付録だったりした。
両方購読していたのだが、その「学習」に一度、「丹波哲郎の死後の世界特集」が掲載されたことがあった。
丹波哲郎曰く、「自殺をすると、その人はあの世で『樹』になってしまう。苦悩し続けたまま永遠に歩くことも動くこともできない『樹』になってしまうのだ」と。イラストもリアルであった。
つまり、命を絶っても永遠にこの世の悩みを抱えたままなのだということから学研の「自殺はやめよう!」というキャンペーンだったのだろうが、あれは今のわたしにも効いている。
学研の勇気も忘れない。
「今は思い出にたくさん浸るといいよ」と友達の励ましを受けながら、最初は必死で過ごしていたのが今はずいぶん抜け殻感もなくなってきたように思います。どうもありがとうございます。
犬は、死後『虹の橋』のたもとで病気やけがの苦しみから解放され楽しく暮らすそうな。
そこはいわゆるユートピアであるものの、犬は残してきた人間の家族のことを気にしながら、家族がやってくるのを待っていると。
さすがにそれはないと思う。
事実だったら嬉しいことだ。
虹の作られ方は中学生の自由研究で友達と共同研究と実験をした。
その『虹の橋』って物理的に存在し続けるのは不可能じゃないかな。
さらに、荼毘にふした後、自宅に『犬の仏壇』を作っちゃうこと。
それもいまいちしっくりこないと思っている(現在、我が家ではお骨はシンプルに棚に置かれている)。犬を何頭も飼い続けたら、お骨の数が増えて「供養ゾーン」は結構なものになると思う。
自然に還してやるのが生き物の性質にもマッチするような。
人間の「三途の川」も「死後の世界」も「極楽浄土」も、そして「地獄」も生きている人間のためのものだと思っている。『虹の橋』も。
一生懸命「供養」するのも残された人間が悲しみから立ち直り、心に、旅立った相手を想い、そこから自分の人生を見つけていくためのものだ。
例えばご先祖様の供養を怠ると自分の身に良くないことが起こるだとか、そういうのは「日々感謝の気持ちを忘れずに生きていけ」というような、やっぱり生きている人間の生きる指針の問題だ。
それと、自分に「死後の世界」があったら疲れる。
骨になったら人はおしまい。そこまで。
というのがわたしの単なる意見です。
しかしながら、ちょっと困った感覚に見舞われていることも確か。
「こんな夢を見たんだけど、ちょっとおかしいよね」と遠方に住む母にメールを送るとすぐさま着信があり「実はグレちゃん(実家の猫。わたしは「育ての親」とよく言われた)死んだの・・・あんた、どうして」と母。ハハハ。
ちなみにいとこはきょうだいで「みえる」らしい。亡くなった祖父が新聞をめくっていたり、踏切にボロボロになった武士がみえたり、そういうことが日常だと言っていた。さすがにそれを「そんなの嘘でしょ」とは言わない。みえるのであろう。
コスモの癌が見つかる前にもおかしい感覚があった。
元気だけれどエサを食べなくなったということで「明日病院に行こうね」と決めていた日。
その日は日差しのたっぷりな午前中で、わたしも犬もめいめい自由に過ごしていた。
するとゴロゴロしていたコスモが突然「ピー」と立ち上がったのがわかったので心配して振り向くと、ちょこんと「スワレ」をして黙ってこちらを見ている。普通の顔だ。
「もう、お別れなんだよ」
はっきりとそれがわかって、そういわれたのがわかって、わたしはすがりついて「お願い死なないで、死なないで」と泣いた。まだ3年くらいは元気でいてくれると思っていたし、よくわからなかった。病院で告知されたのは次の日のことだ。
息を引き取ることもわかった。
「この場合余命3か月」と言われていたので、年を越すものと考えていた。
ただ、その夜はなんとなく「もう時間がない」とわかった。
ゆるやかに症状は悪化していて、これがあとひと月くらいの速度なのかなと思っていたが、その夜はおかしな気がして、息子に「こっちゃんとちゃんとお話しした?ちゃんとお話ししないと後悔するからよく話しなさい。ママは2階に行っているから」と言った。
息子は何やら話をしたようで、泣いていた。
夫にそれを話すと「そういうことさせるから泣くんでしょ」と一蹴され、「可哀そうなことしたかなあ」と反省したりしていた。「でもなんだかおかしくない?」と聞いても「夜はいつもこんな感じだよ、別におかしくないよ?」うーむ。
それに、翌日には動物病院に連れていく予定であった。
深夜になって、やっぱりそれを強く感じたので「みんなと一緒に2階で寝ていたから2階に上げてやりたい」と夫に頼み、夫は重たすぎるのをなんとか抱えてくれた。
その3時間後、突然動きが変わって息を引き取った。
1分前まで苦しそうに体を起こしてゼイゼイ呼吸をしていたので胸を撫でてやっていた。それもいつものことだった。
しかし、急に動きが変わった。
大声で家族を呼び集めて、最期の最後、みんなで声をかけて看取った。
「持ってるねー」
一連のことについて夫を話をしたけれど、そういうデビューをしたつもりはない。
常にそういう思考回路で生きているからまれに当たるのだと思いたい。
仏教(?)のようなスピリチュアルなものを、生きる人間のためと考えながらも、何かを感じてしまう。
相反する感覚に答えが見つからないままだ。
・・・ちなみに、自殺がなぜいけないか。
小学生の頃、学研の「学習」「科学」という月刊誌があった。
学習は歴史とかそういうのがメインだったように思う。科学は、理科。ケント・デリカットを水満タンに張った浴槽に潜らせ、あふれた水の分がケントの体積さ!みたいなことをしたり、アリの飼育セットやNASAの宇宙食が付録だったりした。
両方購読していたのだが、その「学習」に一度、「丹波哲郎の死後の世界特集」が掲載されたことがあった。
丹波哲郎曰く、「自殺をすると、その人はあの世で『樹』になってしまう。苦悩し続けたまま永遠に歩くことも動くこともできない『樹』になってしまうのだ」と。イラストもリアルであった。
つまり、命を絶っても永遠にこの世の悩みを抱えたままなのだということから学研の「自殺はやめよう!」というキャンペーンだったのだろうが、あれは今のわたしにも効いている。
学研の勇気も忘れない。
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